笑顔を仕事として求められる負担 - 接客の感情労働で削られるものと回復
笑顔が業務内容に入る仕事
体調が悪くても、前の客に理不尽なことを言われた直後でも、次の客には笑顔で応じる。それが業務の一部として求められている。
接客や対人の仕事では、作業の成果とは別に、どういう表情と口調で振る舞うかが評価の対象になります。感情の表出そのものが労働の内容に含まれるこの働き方は、感情労働と呼ばれます。
この負担は外から見えにくく、本人も「疲れた」以上に言葉にしづらい。何が削られているのかを分解すると、回復の手がかりが見えてきます。
表面の演技と深層の演技
求められた感情を作り出す方法には、大きく 2 つあります。
ひとつは、表情と声だけを合わせる方法です。内心では苛立っていても、口角を上げて明るい声を出す。感じていることと表に出すものが食い違った状態を保ちます。
もうひとつは、感じ方そのものを変える方法です。無理な要求をする客について「この人も困っているのだろう」と解釈を作り、そう感じられる状態に自分を持っていく。表に出すものと内心を一致させます。
後者のほうが消耗が少ないと考えられています。食い違いを維持する作業が不要になるためです。実際、接客の熟練者が「腹を立てない考え方」を身につけているのは、この方向の適応です。
ただし、深層の演技にも別の代償があります。自分の感情の解釈を業務の都合に合わせて作り替え続けると、何を感じているのかが分かりにくくなります。理不尽なことに怒りを覚える機能そのものが鈍る場合があり、これは職場の外でも影響します。
自分の感情が分からなくなるとき
感情労働が長く続いたときに現れる変化として、感情の平板化があります。
嫌なことがあっても腹が立たない。良いことがあっても嬉しくない。休日に何をしたいかが思い浮かばない。これらは怠惰や無関心ではなく、感情を業務の都合で扱い続けた結果として起きます。
感じる機能を意図的に調整することが日常になると、その調整が自動化されます。仕事中だけ働かせていた抑制が、勤務外でも効いたままになる。感情を出す場が減ると、出し方そのものが分からなくなっていきます。
この変化は、消耗の指標として使えます。感情が動かなくなっていると気づいたら、休息が足りていない状態だと考えてよい。家庭の中で担う気配りの負担も同じ性質を持つため、職場と家庭の両方で感情の労働を担っている場合、消耗は加算されます。
理不尽な相手に当たった日
感情労働で最も負荷が高いのは、理不尽な扱いを受けながら、それに応答してはならない場面です。
ここで起きているのは、怒りが生じているのに表出を止めるという二重の作業です。感情の発生そのものは止められないため、発生した怒りを抱えたまま笑顔を作ることになります。この状態は身体に強い緊張を残し、勤務が終わってからも抜けません。
対処として有効なのは、その日のうちに事実を言語化することです。何を言われたか、そのとき何を感じたかを、誰かに話すか書き留める。感情に名前を付ける作業は、抱えたままの状態を処理済みに変える働きをします。
言語化の相手が同僚である場合、共有には利点があります。同じ場面を知っている相手なら説明が短く済み、自分の反応が過剰でないことも確認できます。ただし職場の不満を語り合う関係が固定すると、そこから離れられなくなる面もあるため、外の相手も持っておくほうが安定します。
勤務が終わった後の切り替え
感情労働の回復には、業務と自分を切り離す手続きが要ります。この切り替えを習慣として持っている人は、消耗の蓄積が遅くなります。
実際に使われている方法をいくつか挙げます。制服を脱ぐことを区切りとして意識する。帰路で決まった音楽を聞く。自宅に入る前に数分だけ座る。手を洗う、着替える、シャワーを浴びるといった身体的な動作を境界にする。
いずれも、業務中の態勢を解除する合図として働きます。合図がないと、家に帰ってからも接客の構えが続き、家族に対しても同じ調整を続けることになります。
そして、勤務外に「感情を出してよい場」を確保することが要点です。感情を抑える時間が長いほど、出す時間が必要になります。趣味でも運動でも、誰かとの会話でも、自分の感じたことをそのまま扱える活動を持っておく。消耗が限界に達する前の兆しを知ることと合わせて、回復の仕組みを持っておくのが実務的です。
続けるか離れるかを考えるとき
感情労働は、向き不向きが結果に大きく出る働き方です。同じ職場で、消耗が少ない人と大きい人がはっきり分かれます。この差は努力の量ではなく、感情の扱い方の得意不得意です。
離れることを検討する目印を挙げると、判断の材料になります。休日に回復しなくなった。勤務前に強い抵抗が出る。客に対して強い攻撃的な感情が湧く。仕事以外の人間関係でも感情が動かなくなった。
これらが揃っている場合、対処の工夫で乗り切る段階を超えています。同じ業種の中でも、扱う客層や業務の設計によって負荷は大きく変わります。転職を考えるなら、業種を変えるより先に、接客の頻度と裁量の大きさを条件に入れるほうが現実的です。
感情を使って働くことは、専門的な技能です。表情を作ることが誰にでもできる簡単な作業だという扱いを受けやすいのですが、実際には高い負荷を伴う労働です。自分がしていることの重さを正確に見積もることが、続けるための最初の条件になります。