社会 / 地域

美貌格差

見た目の評価の違いが賃金や採用の結果の差として現れる現象。労働経済学者ハマーメッシュの著書で日本語圏に広まった語で、実証研究が示したのは、美しさへの報酬より低く評価された側への罰がわずかに大きいという非対称だった。

『美貌格差』という一冊が投げた問い

美貌格差とは、見た目の評価の違いが賃金や採用といった経済的な結果の差につながる現象を指す。この語を日本語圏に広めたのは、労働経済学者ダニエル・S・ハマーメッシュの著書『美貌格差 - 生まれつき不平等の経済学』(望月衛訳、東洋経済新報社、2015 年) である。原題は Beauty Pays で、著者の関心は「美しい人は得か」という感想の交換ではなく、労働市場という測定できる場で見た目が実際にいくらの差になって現れるかにあった。この語の値打ちは、外見の悩みを気にしすぎという個人の性格の話から、統計として観測される不均衡の話へ引き上げたところにある。自分の感じ方が過敏なのではなく、傾きは実在する。そう言えるだけで肩の力が抜ける人がいる。

数字が示したのは「得」ではなく「損」だった

ハマーメッシュはジェフ・ビドルとの共同研究で、見た目の評価と賃金の関係を調べている。1994 年に American Economic Review へ発表された論文は、人口構成や労働市場の条件をそろえたうえで、見た目が平均より劣ると評価された人の賃金が、平均的と評価された人より 5〜10% 低いことを報告した。そして同論文は、この平凡さへの罰が美しさへの報酬よりわずかに大きいと述べている。

ここは受け取り方で意味が変わる箇所だ。上位群と下位群の差だけを取り出せば「見た目が良いと 1 割以上多く稼ぐ」という紹介にもなり、それも同じ論文の数値から出てくる。ただし原論文が非対称として書き留めたのは、上へ抜ける幅より下へ引かれる幅がわずかに大きいという向きだった。差の大きさそのものはわずかでも、向きが分かると話の重心が動く。外見を磨いて上を目指す話ではなく、平均から下へ引く力が労働市場の側に働いているという話になるからだ。努力の不足を責める根拠にはならない。

差はどの経路で生まれるのか

見た目そのものが賃金を決めているわけではない。マルクス・モビウスとターニャ・ローゼンブラットは 2006 年に American Economic Review へ発表した実験研究で、迷路を解く課題という外見と無関係な能力を使って模擬的な労働市場を組み、報酬の差が生まれる経路を三つに分解した。

経路中身手を出せる余地
自信魅力的と評価された人は自分の能力を高く見積もり、その自信が報酬を押し上げるある
評価する側の思い込み自信の差をそろえても、評価者は魅力的な人を有能だと誤って推定するない
やりとりの技量電話や対面のように声でやりとりする場面で、話し方が報酬をさらに押し上げるある

三つのうち自分の手が届くのは一つ目と三つ目で、どちらも顔の造作ではない。外見の悩みが収入の不安と結びついている人にとって、この分解は実務的な意味を持つ。整えるべきは輪郭ではなく、自己評価の水準と、人と話すときの手数だと読み替えられる。逆に二つ目は自分の側の努力では動かない。動かないものを動かそうとして疲れ果てる構図から抜けるためにも、境界線を知っておく価値がある。

ルッキズム、自己対象化との整理

混同されやすい三つの語は、指している層が違う。

何を指すか問われる場所
美貌格差見た目の評価差が経済的な結果の差として観測される事実統計・労働市場
ルッキズム外見を基準に人を扱い、序列をつける規範や差別制度・言葉・慣行
自己対象化自分を「見られる対象」として絶えず点検する内面の習慣自分の頭の中

三つ目については、バーバラ・フレドリクソンとトミアン・ロバーツが 1997 年に Psychology of Women Quarterly へ発表した対象化理論が土台になっている。この論文は、女性が観察者の視点を自分の身体に対する第一の視点として内面化するよう育てられ、それが習慣的な身体の点検につながると論じた。

三つは切れておらず、一本につながっている。社会の側に美貌格差という結果があり、それを支える規範がルッキズムであり、その規範を自分の内側に取り込んだ状態が自己対象化だ。だから「気にしすぎ」で片づけられない。気にしているのは自分だけではなく、賃金という乾いた数字のほうも気にしている。

この語を手に入れたあとにできること

まず、評価や収入の不足を外見に一元的に帰さないこと。1994 年と 2006 年の二つの論文を並べれば、差の一部は評価する側の推定に由来し、そこは自分の顔をどう変えても動かない領域だと分かる。次に、自分で動く二つの経路に手を入れる。実績を数字で言えるように整えておく、聞かれる前に準備を積んでおくといった地味な作業が、そのまま自信とやりとりの技量の補強になる。

そして、内面化された点検が強くなりすぎている場合は扱いを変える。鏡や写真を避ける、外出の回数が減る、見た目の一部分に確認をくり返すといった段階まで来ているなら、外見への強い苦痛として別の枠組みで理解したほうが早い。目安と線引きは醜形恐怖症の解説で整理している。格差が社会にあるという事実は、自分の顔を裁く材料ではない。

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