ここまで続けたから辞められない - つぎ込んだものが判断を縛る仕組み
費やした時間が判断を縛る
5 年続けた仕事が、自分に合っていないと分かっている。転職を考えるが、そこで手が止まる。5 年をかけて身につけたものが、辞めれば無駄になる。
大学で 3 年学んだ分野に興味を失った。専門を変えれば、3 年が無駄になる。
関係が続かないと分かっている相手と、10 年一緒にいる。別れれば、10 年が無駄になる。
この「無駄になる」という感覚が、判断を止めています。そして多くの場合、この感覚は判断を誤らせます。
取り戻せないものを数えてしまう
ここで起きているのは、既に支払って回収できないものを、今の判断の材料に含めてしまう誤りです。この傾向にはサンクコスト効果という名前が付いています。
5 年の時間は、辞めても続けても戻ってきません。すでに支払い済みで、どちらを選んでも同じです。したがって、これからどうするかを決めるときの材料にはなりません。
にもかかわらず、人はこれを材料として使います。理由はいくつか考えられます。
ひとつは、損失を確定させたくないという傾向です。同じ大きさでも得より損のほうが強く感じられることを損失回避と呼び、続けているあいだは「まだ無駄になっていない」と考えられます。辞めた瞬間に損失が確定する。この確定を避けるために、さらに時間を追加します。
もうひとつは、一貫性への要求です。長く続けてきた選択を否定することは、過去の自分の判断を誤りだと認めることになります。この認定を避けたいという動きが働きます。
そして、周囲の目です。続けている理由を説明する必要はありませんが、辞める理由は説明を求められます。この非対称も、続ける側に傾かせます。
続ける理由と続けたい理由
この状況で有効なのは、判断の材料を仕分けることです。
紙に 2 つの列を作ります。左に「今から先に得られるもの」、右に「これまで費やしたもの」。
右の列は、判断に使えません。すでに確定した過去です。左の列だけを見て、続けるかどうかを決めます。
実際にやってみると、左の列が薄いことに気づく場合があります。この先に得られるものが具体的に挙げられないなら、続ける根拠は過去の側にしかありません。
逆に、左の列に具体的な内容が書けるなら、続ける判断は妥当です。この 1 年で身につくもの、次の段階で開ける可能性。それが望むものであれば、続けてよい。
この仕分けは、頭の中では難しく、紙の上では比較的簡単です。同じ場所に混ざっていると区別できないものが、分けて書くと違いが見えます。
残りの時間で考える
もうひとつの視点として、時間の総量から考える方法があります。
これまで 5 年を費やしたという事実の隣に、これから何年あるかを置きます。仮に働く期間が残り 25 年あるなら、5 年は全体の 5 分の 1 です。合わないと分かっている選択に、残りの 25 年を足すのか。
この計算をすると、判断の重みが変わります。過去の 5 年を守るために将来の 25 年を使う、という構図が見えます。目の前の気まずさを避けて遠い先の損を軽く見積もる現在バイアスが働くため、この構図は意識して数えないと見えません。
そして、時間が経つほど撤退が難しくなるという性質にも気づきます。今 5 年なら、10 年になる前に判断できます。10 年経ってから同じ判断をするほうが、はるかに難しい。
この意味で、撤退の判断には期限があります。遅くなるほど費やしたものが増え、縛りが強くなります。
周囲の期待という追加のコスト
個人の判断に加えて、周囲との関係も撤退を難しくします。
親が期待している進路、周囲が良いと言った職場、みんなが祝ってくれた結婚。これらから離れる判断には、自分の損失に加えて、他人の期待を裏切るという要素が加わります。
この要素を扱う際、区別しておきたいことがあります。他人の期待は、他人が支払ったものではありません。期待を持ったのは相手の選択であり、それを満たす義務がこちらに発生するわけではない。
ただし、実際に他人が資源を提供している場合は別です。学費を出してもらった、生活を支えてもらった。この場合は、相手への説明と、可能な範囲での返し方を考える必要があります。それでも、続けることが返し方になるとは限りません。
説明の仕方としては、続けられない理由より、これから何をするかを話すほうが伝わります。過去の否定ではなく、次の選択として提示する形です。
辞めた後に何が残るか
最後に、撤退が「無駄になる」という前提そのものを検討します。
5 年働いたなら、その 5 年で得たものは残ります。技術、人との関係、業界の知識、自分に何が合わないかという判断。これらは職を離れても消えません。
3 年学んだ分野の知識も、専門を変えても残ります。むしろ、異なる分野を知っていることが後で効く場合があります。
関係についても、共に過ごした時間が消えるわけではありません。その関係の中で学んだこと、変わった自分。それらは持って出られます。
「無駄になる」という表現が指しているのは、実際には「この先も同じ形で使い続けることができなくなる」ことです。これは損失ですが、費やしたもの全部の消滅ではありません。
辞める判断をどう見極めるかと、決められない状態から抜ける方法を合わせて考えると、撤退が敗北ではなく配分の変更だと分かります。残り時間を何に使うか。問いをこの形にすると、過去は判断の材料から外れます。