哲学 / 思想

コンサマトリー

その行為自体が目的になっている状態を指す言葉。何かを達成する手段として今を使うインストゥルメンタルな構えと対をなす。日本語圏では若者の幸福感を論じる社会学の文脈から知られるようになった。

「何のために」と問われない時間

コンサマトリーは英語の consummatory をそのまま音写した語で、consummate (成し遂げる、完全にする) を語源に持つ。行為の外側に目的を置かず、その行為をしていること自体で完結している構えを指す。対になるのがインストゥルメンタル、日本語では手段的と訳される構えで、こちらは行為を別の目的に到達するための道具として位置づける。定訳が定まらないまま社会学の議論を通じてカタカナで流通してきた語であり、日常の日本語としては耳慣れない。

この対比の要点は、行為の種類ではなく行為に向かう構えの側にある。同じことをしていても、どちらの構えで行っているかで意味がまるごと入れ替わる。

同じ行為手段的な構えコンサマトリーな構え
食事健康を維持するため、栄養を満たすためおいしいものを味わうこと自体が目的
散歩歩数を稼ぐため、健康診断の数値のため歩いていること、風が気持ちいいこと
読書知識を仕入れるため、仕事に活かすためその物語の中にいる時間が楽しい
友人との会話情報を得るため、人脈を保つため喋っていることそのものが心地よい
楽器の練習発表会で失敗しないため音が出ていく感触が面白い

右の列だけを集めれば理想の生活になる、という話ではない。人間の暮らしは左の列に支えられている。ただ、左の列だけで日々が埋まると、生きることが延々と続く準備期間のようになり、「いつか報われるはずの今」が積み上がっていく。そのときに何が欠けているのかを言い当てるのが、この言葉の役目である。

日本語圏でこの語が語られてきた文脈

社会学者の見田宗介は、この概念を単なる分類語ではなく、時間をどう生きるかという問いに接続して展開した。2024 年には、見田のコンサマトリー概念を三つの側面から読み直す研究論文が慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の紀要に発表されており、学術的な検討の対象として扱われ続けている概念である。

一般の読者に届くきっかけになったのは、2011 年 9 月に講談社から刊行された古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』だ。同書は、経済的な見通しが明るいとは言えない状況にありながら若い世代の生活満足度が高いという一見矛盾した事実を扱い、その説明としてコンサマトリー化という語を用いた。ここから、この言葉は「将来に希望が持てないからこそ、今この瞬間の充足に価値を置く」という筋書きと強く結びついて記憶されることになった。

ただし、その筋書きは概念の一面にすぎない。将来への諦めから消極的に今へ退くことと、今この行為の中に価値が満ちていることは、外から見て似ていても内側の質が違う。前者では明日が来ることが不安の材料になり、後者では明日も同じように過ごせることが安心の材料になる。自分がどちらにいるのかを見分ける問いは単純で、「もし将来の見通しが明るくなったら、今していることをやめたいと思うか」である。やめたいなら、それは今を目的にしているのではなく、逃げ場として使っている。

つまずきやすい三つの誤解

第一に、コンサマトリーは向上心の欠如の言い換えではない。目標に向かって努力している人が、その努力の過程を面白がっていることは珍しくない。むしろ手段的な意味づけしか持たない努力は長続きしにくく、途中の一日一日を目的として味わえる人のほうが遠くまで進む。

第二に、手段的な構えは悪ではない。未来のために今を使う能力は、貯蓄も学習も治療も支えている。問われているのは、そのどちらか一方に生活が偏りきっていないかという配分の話であって、優劣ではない。

第三に、刺激を追い続けることとは別物である。動画やタイムラインを次々に消費している時間は、行為それ自体を目的にしているように見えて、終えたあとに充足が残りにくい。自己目的的であることと、受け取る刺激が強いことは、同じではない。むしろ静かで単調に見える行為ほど、その中に留まる感覚が育ちやすい。

手段化した生活を点検する

実践は、問いを一つ持ち歩くところから始まる。何かをしている最中に「これは何のためにやっているのか」と自分に尋ね、答えを辿ってみる。辿るほど別の目的が出てきて終わらない行為が並んでいるなら、生活が手段の連鎖でできている。反対に「これ自体が目的だ」と答えて辿り終える行為が一日にいくつかあるなら、そこが自分の土台になっている場所だ。

次に、成果に換算しない時間を週のどこかに置く。記録も投稿もせず、上達も測らず、終わっても何も残らない時間である。この種の時間は予定表の中で最も削られやすいため、意図して先に確保しておかないと消える。行為に没入している心理状態を指すフロー体験とは近い場所にあるが、フローが集中の状態を指すのに対し、コンサマトリーは目的の構造を指す語であり、必ずしも高い集中を必要としない。ぼんやりと縁側にいる時間も、それ自体が目的ならばこの言葉の内側にある。

今日試すなら、すでに習慣にしていることを一つ選び、その一回だけ目的を外して行ってみるとよい。歩数を数えずに歩く、感想を誰にも言わずに本を読む。何も生まなかったはずのその時間が意外に濃かったのなら、生活の配分を見直す手がかりが手に入ったことになる。

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