子どもの結婚が寂しくてたまらない - 取られた気持ちを整え、口を出さない距離を決める
娘や息子の結婚が寂しいのは、親としておかしいことなのか
結婚の報告を受けた夜、「おめでとう」と笑って電話を切ったあと、台所でひとり涙が止まらなくなった。式の準備が進むほど胸の奥が重くなり、相手の家族の話が出るたびに、うまく言葉にできないざわつきを覚える。そんな自分を「祝ってあげられない冷たい親だ」と責めている人は少なくありません。
結論から書きます。子どもの結婚が寂しいのは、おかしいことではありません。結婚は喜ばしい出来事であると同時に、親にとってははっきりとした喪失を含んでいます。子どもにとっていちばん近い家族の席が、親から配偶者へ移る。その席替えを悲しむ気持ちと、子どもの幸せを願う気持ちは、同じ胸の中で両立します。どちらか一方だけが本物というわけではありません。
苦しさを深めているのは、寂しさそのものより、「喜ぶべき場面で悲しんではいけない」という思い込みのほうです。お祝いの席では涙も笑顔も歓迎されますが、それは感激の涙として受け取られます。式が終わって家に戻ったあとの寂しさは、周りから見えにくく、口にしても「よかったじゃない」で終わってしまいがちです。誰にも認めてもらえない悲しみは、行き場をなくして長引きます。喪失を悲しむことを自分に許すのは、グリーフケアの出発点でもあります。
子どもの巣立ちと結婚は似ていますが、同じではありません。進学や就職で家を出たときに変わったのは、主に住む場所と暮らしの音でした。結婚で変わるのは、関係の順番です。子どもが家を出た後の空白にどう向き合うかは別の記事で書いているので、この記事では「結婚」によって生まれる寂しさに絞って、気持ちの整え方と、子ども夫婦との距離の決め方を考えます。
寂しさは 3 つの型に分けると扱いやすくなる
「寂しい」と一言でくくってしまうと、何をすれば楽になるのかが見えません。子どもの結婚で生まれる寂しさは、大きく三つの型に分けられます。多くの人は二つ以上が重なっていますが、いちばん強いものがどれかを知っておくと、打つ手の順番が決まります。
役割を失う寂しさ
娘の相談相手だった、息子の世話を焼くのが当たり前だった。そうした役割が、結婚を境に配偶者へ引き継がれていきます。たとえば、一人娘を大事に育ててきた父親が、娘の車の故障の相談を受けなくなり、あとから「夫が直してくれた」と聞かされる。たったそれだけのことで、自分がもう必要とされていないような気持ちになります。この型の寂しさの正体は、子どもを失ったことではなく、親としての出番を失ったことです。
順位が下がる寂しさ
正月やお盆の予定が「向こうの家と相談して決める」になる。何かあったとき、子どもが最初に連絡する相手が自分ではなくなる。息子を持つ母親が、息子の口から妻の家族の話を楽しそうに聞いたとき、喜ばしいはずなのに胸がちくりと痛む。これは順位が下がる寂しさです。相手の家族と比べてしまう、自分のほうが軽く扱われている気がする、という形で表れやすく、放っておくと「取られた」という気持ちにつながります。
二人暮らしが終わる寂しさ
母一人子一人で長く暮らしてきた家庭では、子どもの結婚は、毎日の生活の相棒がいなくなることを意味します。シングルマザーとして娘を育て、二人で夕飯を食べ、休日には一緒に出かけていた人にとって、娘の結婚は人生の章が一つ閉じるような出来事です。この型は、夫婦で子どもを送り出す場合よりも生活の変化が大きく、孤独感が夜の静けさとして毎日やってきます。
| 型 | 心の中の声 | 和らげるもの | やりがちな失敗 |
|---|---|---|---|
| 役割を失う | もう私の出番はない | 子ども以外に、自分が頼られる場を一つ持つ | 頼まれていない手助けで出番を取り戻そうとする |
| 順位が下がる | 向こうの家ばかり大事にされる | 比べる相手を相手の家族から過去の自分に変える | 行事の回数や贈り物の額で張り合う |
| 二人暮らしが終わる | 家に帰っても誰もいない | 夕方から夜の時間に、人と話す予定を固定で入れる | 毎晩の電話で以前の暮らしを続けようとする |
表の右端の「やりがちな失敗」は、どれも寂しさを子どもとの関係の中だけで埋めようとする動きです。気持ちはよく分かりますが、子ども夫婦の側から見ると、それは干渉として映ります。寂しさを和らげるものの多くが、子どもの外側にあることに注目してください。
「取られた」という気持ちとはどう付き合えばいいのか
子どもの配偶者に対して「うちの子を取られた」と感じてしまう自分に、驚いたり恥じたりする人もいます。けれどこの感情は、長く大事にしてきたものほど湧きやすい、ごく人間的な反応です。問題になるのは感情そのものではなく、それが言葉や行動になって相手に届いたときです。
付き合い方の基本は、感じることは自由に、口に出す相手は選ぶ、という分け方です。「取られた」という気持ちは、配偶者や昔からの友人など、子ども夫婦と利害のない相手にだけ話します。子ども本人や、ましてや子どもの配偶者に向けて言葉にすると、相手はあなたの寂しさではなく、自分たちの結婚への反対として受け取ります。
気持ちが言葉になりかけたときに、言い換えの形を知っておくと助かります。
| 口に出しそうになる言葉 | 相手にはこう聞こえる | 言い換えるなら |
|---|---|---|
| 「ちっとも顔を見せないのね」 | 責められている、義務を果たせと言われている | 「元気にしてる。顔が見られたらうれしいな」 |
| 「向こうの家にばかり行って」 | 配偶者の家族を悪く言われている | 「年末はどんな予定。こちらはいつでも合わせられるよ」 |
| 「あなたのためを思って言うんだけど」 | これから口出しが始まる合図 | 何も言わずに、聞かれるまで待つ |
| 「昔はもっと話してくれたのに」 | 今の自分を否定されている | 「話したくなったら、いつでも聞くからね」 |
言い換えのこつは、責める形の文を、自分の気持ちを伝える形に変え、相手が断れる余地を残すことです。「顔を見せて」ではなく「顔が見られたらうれしい」と言えば、来るかどうかの判断は子どもに残ります。断れる誘いを受けた子どものほうが、結果として親のもとに足を運びやすくなります。
もう一つ覚えておきたいのは、「取られた」の裏には、子どもの人生にとって自分が一番の存在でありたかったという願いがある、ということです。その願いは子育ての間、親を支えてきた原動力でした。役目を終えた願いに「ありがとう」と区切りをつけることは、子どもを手放すことではありません。親と子が互いに一人の大人として向き合う関係に移る、その入口に立つことです。親子の境界があいまいなまま密着した状態は癒着関係と呼ばれ、どちらの側にとっても息苦しさの元になります。
口を出さない距離の決め方 - 連絡、訪問、助言の目安
子ども夫婦との距離に正解の数字はありません。週に一度の電話がちょうどいい家族もあれば、月に一度でも重く感じる夫婦もいます。だから距離は、こちらの寂しさの量ではなく、相手の反応を物差しにして決めます。勧めたいのは、次の三つの原則です。連絡は子どもから来る頻度に合わせる。訪問は招かれてから。助言は求められたときに一度だけ。
| 項目 | 近すぎるサイン | ちょうどいい目安 | 迷ったときの一言 |
|---|---|---|---|
| 連絡 | 返信が短くなる、既読のまま返らない日が増える | 子どもから来る頻度を上限にし、こちらからはそれより少なめにする | 「返事はいらないよ。元気ならそれで十分」 |
| 訪問 | 予定を聞くと言葉を濁される、配偶者が席を外しがちになる | 新居には招かれてから行く。行くときは帰る時間を先に伝える | 「近くまで行く用があるけど、都合が悪ければ遠慮なく言ってね」 |
| 助言 | 話の途中で話題を変えられる、相談されなくなる | 聞かれたら一度だけ答え、その後どうしたかは尋ねない | 「私ならこうするけど、二人で決めたことが一番だよ」 |
| 贈り物や援助 | お礼が形式的になる、断られる | 先に何が要るかを聞き、要らないと言われたら引く | 「何か足りないものがあったら教えてね」 |
表の「近すぎるサイン」は、子ども夫婦が言葉にしないまま出している合図です。子どもは親を傷つけたくないので、「来ないで」「連絡が多い」とは、なかなか言いません。代わりに返信が遅くなり、予定があいまいになります。この変化に気づいたときに、一度距離を半分にしてみる。それで関係がやわらぐなら、そこが今のちょうどいい距離です。
距離を取ることは、愛情を減らすことではありません。むしろ「いつでも帰ってこられる場所がある」と子どもが感じられるのは、親が自分の暮らしを楽しんで、追いかけてこないときです。追われると人は逃げたくなり、待っていてもらえると人は帰りたくなります。
夫婦で子どもを送り出した場合は、ここで配偶者の存在が大きな助けになります。子どもに向けていた関心の一部を、夫婦の会話に戻す時期でもあります。片方だけが寂しさを抱え、もう片方が「いつまで言ってるんだ」と取り合わない、というすれ違いは珍しくありません。寂しさの型が夫と妻で違うことも多いので、3 つの型の表を二人で見比べてみると、互いの気持ちが言葉にしやすくなります。
息子の結婚が寂しい母親に知ってほしい、義母の連絡が負担になる理由
息子を持つ母親にとって、結婚後の寂しさは、息子の妻との関係の難しさと重なりやすいものです。息子と話せない分を、息子の妻とのやり取りで埋めたい。仲良くなりたい一心で、こまめにメッセージを送り、写真を送り、季節の品を届ける。母親の側には善意しかありません。それでも、受け取る側の負担は想像よりずっと大きいことがあります。
息子の妻の立場から見ると、義母からの連絡は、友人からの連絡とは重さが違います。すぐに返さないと失礼に思われないか、どんな言葉づかいなら角が立たないか、返信一つを書くのに何分も迷う。そっけない返事をすれば夫の実家との関係にひびが入る気がして、断ることもできない。こうした緊張が、メッセージが届くたびに繰り返されます。義母からの連絡を重く感じる側の気持ちと、返し方に悩む人への手立ては別の記事で詳しく扱っていますが、ここで押さえたいのは、負担の正体は回数よりも「断れなさ」にあるということです。
母親の側でできることは、次の 4 つです。
- 用件の連絡は、まず息子に送る。息子の妻に直接送るのは、向こうから連絡をもらったときの返事を中心にする
- 返信を求めない形で送る。「返事は気にしないでね」を最初に添えておく
- 写真や近況の送付は、相手から届く頻度を上限にする
- 家族の行事は、両家に公平になるよう、日程を子ども夫婦に決めてもらう
息子の妻と距離があることを、寂しく思う必要はありません。関係が浅いうちは、遠慮があるのが自然です。何年もかけて、困ったときに頼ってもらえる存在になれば、それで十分すぎるほどです。反対に、急いで近づこうとして負担に感じられると、その印象は長く残ります。義実家との距離感に悩む側の心情を一度知っておくと、どこで踏みとどまればいいかが見えてきます。
娘が結婚した父親や母親が、娘の夫に対して同じように距離をはかりかねることもあります。向きが逆になっても、原則は同じです。子どもの配偶者には、子どもを通して関わる。直接の連絡は、相手から来たときに温かく返す。それだけで、相手は安心してこちらとの距離を自分で縮められるようになります。
寂しさを、自分の暮らしに戻していく
子どもの結婚から少し時間がたつと、多くの親は寂しさの波が少しずつ低くなっていくのを感じます。けれど、波が引くのを待つだけでなく、こちらから暮らしの形を変えていくほうが、回復は早く進みます。
手始めにおすすめしたいのは、子どもに使っていた時間とお金の行き先を、一つだけ自分に向け直すことです。夕飯を二人分作っていた時間で、ずっと気になっていた教室に通ってみる。子どものために取っておいた週末に、昔の友人と会う約束を入れる。自分が頼られる場、話し相手のいる夜、楽しみに待てる予定。この三つのうち、今の暮らしに欠けているものを一つ選んで、今週のうちに埋めてみてください。
子どもに寂しさを伝えたくなったら、一度だけ、責める言葉を含まない形で伝えるのは悪いことではありません。「結婚してくれて本当にうれしい。ただ、正直に言うとちょっと寂しいんだ。でもそれは私が自分で何とかするから、気にしないでね」。この一言は、子どもにとって負担ではなく、親が自分の気持ちを引き受けてくれたという安心になります。
ただし、寂しさが長く続いて、眠れない、食べられない、何をしても楽しめないという日々が日常に響いているなら、それは時間に任せるだけでなく、誰かに話したほうがよい状態です。身近に話せる人がいなければ、都道府県などの公的な相談機関につながるこころの健康相談統一ダイヤルがあります。どこに相談すればいいか迷うときは、つながる窓口から今つながる相談先を探せます。
子どもの結婚は、子育ての終わりではなく、親と子が大人同士として付き合い直す始まりです。寂しさを感じたまま、その始まりを迎えていい。今夜は、自分のための予定を一つ、手帳に書き込むところから始めてください。
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